【ショートショート】見えないゴール

ショートショート

☆☆☆組織開発の実践風景をリアルに描いたショートストーリー☆☆☆

 新規事業立ち上げプロジェクトのリーダーを任されたS室長は、実際何をしたらよいか方向性を見いだせずにいた。そんなときたまたま参加した組織開発の講演に何か感じるものがあった。

「ちょっとよろしいでしょうか?」
講演を終えてロビーに姿を見せたMに、待ちかねたようにその男は声をかけた。
「なんでしょうか?」
「今日の講演にたいへん感銘を受けました。それでぜひお話ししたいと思い、こちらで待たせていただきました。」
「そうですか、ありがとうございます。どんなところがお心に残りましたか?」
「はい、いろいろありますが『時代のキーワードは変わってもリーダーシップの本質は変わらない』という言葉がとても印象深かったです。」
「なるほど、あなたがお話しになりたいのはそれに関することですか?」
「はい!」
 その後、立ち話はしばらく続いたが、Mとの名刺交換を望む人が集まりだしたので、男は後日のミーティングを約して離れていった。
 彼の名刺によると、B株式会社のDX推進室の責任者S室長とのことだ。
(B社は、たしかキャンプ用品の会社だったよな・・・)
 Mは、組織開発(OD: Organization Development)のスペシャリスト、加えてリーダーシップトレーニングの評判も高く、今日の講演も「テレワーク時代のリーダー」というタイトルだった。翌日S室長と連絡を取り合い、MがB社を訪れたのはそれから二週間後のことだ。

 8月初旬、都会の暑さは本格的で、こんなビルの狭間でも街路樹のセミの鳴き声が煩くあふれる。
「お暑い中、弊社までご足労いただきありがとうございます。」
 S室長は、笑顔であいさつする。後で知ったのだが元はセールスとのことで人当たりはとてもソフトだ。受付ロビーには様々なアウトドア用品がディスプレイされていて、ちょっとしたショウルームのようになっている。B社の業績は堅調で今のところ何も問題なさそうに感じられる。
 会議室に案内されると、そこには事業本部長のTが待っていた。
「紹介します。事業本部を統括しているTです。こちらが組織開発コンサルタントのMさんです。」と、S室長が引き合わせる。
「はじめまして、B株式会社のTでございます。」
 渡された名刺には「専務取締役」の肩書がある。Tの陰からスッと前に出て名刺を差し出す女性、名刺には「秘書U」と書いてある。4人がひとしきりあいさつを終えて席につくと、S室長が話し始める。
「DX推進の責任者となっていますが、私自身はDXどころかIT関係はまったくの素人です。ずっとセールス系の仕事を続けてきて、管理職になってからは後輩の育成なども担当してきました。いきなり愚痴のような話で恐縮ですが、まずはMさんにこのことをご理解いただきたいのです。」
 この切り出し方に、T専務は動ずる様子もなく表情を変えずに応える。
「そうだよ、このことは何度も言っているが、ITの専門家は必要な人材を後から揃えれば済む話だ。大事なのはDXでどんなビジネスを立ち上げるか、つまりマーケティングのセンスが最も重要な鍵になる、ということだよ。私は、元トップ営業の君の感覚を信じている。」
 T専務がこの席に呼ばれたことを不満に感じているのはあきらかだ。いたたまれないのか、その横で秘書のUがうつむいている。
「そうなのですが、何から手を付けていいのかさっぱりわからない状態で丸投げされても困るばかりです。」と、いつものソフトな人柄とは対照的に少々反抗的だ。
 いきなりの展開に驚くMだったが、S室長の困った様子に、(どうしたものか・・・)と考えていると、T専務の方から話しかけてきた。
「Mさんは、組織開発がご専門とのことですが、DXについては何かご経験はあるのですか? 失礼な質問ですみません。どうも今日のミーティングの主旨にいまひとつ納得できていないものですから。」
「T専務、正直なお気持ちを話していただきありがとうございます。まず僕自身は、DXに関して表面的な知識しかありません。ただ、今回のミーティングをお受けしたのは、S室長がプロジェクトチームの立ち上げに悩まれているということと、そのチームが担うべきミッションが御社にとってとても重要なテーマらしいと感じたからです。」
「なるほど・・・」
 Tは、Mが続きを話すのを待っている。MはS室長の様子をチラっと見てから続けた。
「DXという言葉を横において、新規事業の立ち上げプロジェクトとして考えてはいかがでしょうか? ただし、新規性がとても強いので、これまでの経験が活かしにくくチーム構成をどうするか?を考えるところから悩ましい状態です。」
 Mは、T専務に視線をあててたずねる。
「いかがですか?合っていますか?」
「おっしゃるとおりです。だとして、そこに組織開発の専門家を呼ぶ理由がわからないのです。」
「なるほど、そこは後ほどご説明させてください。ところでS室長はDX担当になる前に新規事業を検討するプロジェクトチームに参加されたことはありますか?」
 いきなり話を振られたSがあわてて応える。
「はい、セールスの立場で何回か参加しています。」
「その中に、今回のようなレベルで革新的なプロジェクトはありましたか? つまり既存製品の枠組みやその販売方法を根本から変えてしまうような、という意味です。」
 ちょっと考えてから、「いえ、そこまで大きなものはなかったと思います。」
「そうですか、ありがとうございます。」
 Tが話したそうにしているのを制して、Mはあえて秘書のUに話しかける。
「Uさん、秘書のあなたは直接この件に関わっていないと思いますが、ちょっとだけご意見をお聞かせください。」
 まったく予想していなかったUは戸惑っている。「は、はい・・・」
「Uさんにお伺いします。あなたから見てT専務とS室長は仲が悪いと思いますか?」
 一瞬ぽかんとするが、すぐに気を取り直して答える。
「いえ、お二人の仲は悪くないと思います。むしろ仲良しだと思います。」
「仲良しですか、素敵な表現ですね。」意図がくみ取れずに、Uの緊張はますます高まる。
「では、もうひとつ質問します。専務と室長の話を聞いていて感じたことをお答えください。お二人の会話はうまくいっているでしょうか?」
 戸惑いながらもUは応える。「少しすれ違いがあるように感じました。」
「ほう、どんなすれ違いですか?」
「会社は、新しくかなり難しいことを始めようとしているのだと思います。ただ・・・」
 言葉を慎重に選んでいる様子だ。Mはじっと待っている。
「ただ、どこを目指すかを決められていないような気がします。すれ違いはそこかと・・・。」
「なるほど、ありがとうございます。」
 T専務の方に見て問いかける。
「今のUさんのご意見についてどう思われますか?」
「一本取られたな!と感じました。目標設定もできないままに仕事を丸投げすればこうなるのは当たり前ですよね。」
 T専務の表情が明るいことにUはちょっと安堵している様子だ。
「でもねMさん、私はDXみたいなことはからっきしダメなのですよ。だからS君に自由に任せたつもりでした。」
「自由過ぎると何をしてよいやら・・・」と、S室長の表情にも穏やかさが戻った。
 それを見てMが問いを重ねる。
「つまり、プロジェクトのゴールがあいまいだということですね。T専務、S室長、お二人が話し合うことでこのゴールは見えてきそうですか?」
 顔を見合わせて、同時に応える声がシンクロした。
「無理ですね!!」
 思わず吹き出しそうになるUに対して、Mが問いかける。
「Uさん、どうしたらよいですか?」
「えっ、私ですか?」
「はい、困ってらっしゃるお二人にアドバイスをお願いします。」
「そんな、アドバイスなんて・・・、でも誰か詳しい人が話し合いに加わった方がいい様に思います。」
 二人の表情には「異論なし」と書いてある。

「S室長、いかがですか? 何かヒントは得られましたか?」
「はい、こんな短時間でスッキリするとは思いませんでした。」
「それは良かったです。T専務はいかがでしょう?」
「同じです。それと・・・」
「何ですか?」
「U君をこのプロジェクトのメンバーに加えようと思いました。いつまでも秘書に縛り付けているだけではいけないと、前から思っていたのですよ。ちょうどいい機会かも知れません。」
「えーっ!」
「なるほど、それもよく話し合って決めてくださいね。」

 三人の表情を確認してMが話を整理する。
「偶然もありますが、もやもやしていた課題をスッキリさせるグループ対話のプロセスを体験していただけました。ここまでスムーズに進んだのは、三人がもともと本音で話せる関係にあったからだと思います。その上で、私は少しだけ課題の本質を考えるお手伝いをさせていただきました。」
「なるほど。」
「それから先ほどのご質問ですが、組織開発はこうしたプロセスを自分たちで回せるようにするトレーニングだと考えるとわかりやすいです。僕はそのトレーニング・コーチという訳です。」
「まったく新しいことを始めるには、そのための新しいプロセスとその実践トレーニングが必要だという訳か・・・」

 三人がそれぞれの思いの中に深く思考し始めるのを見守るM。視線の先にある大きな窓には、真夏の青い空の中に真っ白な雲が輝いている。

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